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トップお知らせゆいの森> 「今、読んでほしい吉村昭」を紹介します~第1回「破船」~

「今、読んでほしい吉村昭」を紹介します~第1回「破船」~

このコーナーでは、コロナ禍の今、おすすめの吉村作品を紹介します。
1回は、新型コロナウイルス感染拡大を受けて、注目を集める虚構小説「破船」です。

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『破船』(昭和60年 新潮文庫)

・・・お船様の訪れは、村にとっての最大の慶事だが、隣村をはじめ他の地の者たちには極刑に値する悪事らしい。もしも、お船様の到来がなければ、とうの昔に村は消滅し、ただ岩礁のひろがる海のある地にすぎないものになっていただろう。先祖がこの地に生き、自分たちも生活してゆけるのは、お船様の存在によるものなのだ。・・・(『破船』昭和60新潮文庫)

はじめに―「破船」とは

 舞台は、隔絶された貧しい漁村。主人公である9才の伊作は、浜辺で働きながら、母、弟の磯吉、2人の妹、かね、てると暮らし、3年の年季奉公に出た父の帰りを待っています。父が帰村するまでの間、「お船様」が村にもたらした恵みと災厄、その顛末が、成長する伊作の目を通して描かれています。
  「お船様」とは、村に伝わる風習です。村人たちは、海が荒れた冬の夜、浜辺で夜通し「塩焼き」を行います。その明かりに誘われた船が、岩礁で破船すると積荷を奪い取り、生き抜くための糧としました。村では、「お船様」を招く儀式が受け継がれ、「お船様」の到来を祈願し続けてきました。
 村には、待ち望んだ「お船様」が二冬続けて到来します。まずは、村の数年間を支える米を積んだ恵みの船。次に、「赤い着物」を身に着けた20人ほどの死者を乗せた老朽船が訪れます。この死者は、疱瘡(天然痘)を患ったことで、さらなる感染を避けるため、船に乗せられ、流された者たちでした。しかし、疱瘡に対する深い知識を持たない村人たちは、「お船様」の恵みとして「赤い着物」を剥ぎ取ります。やがて、各戸に分配された「赤い着物」から感染が広がり、村は、
予期しなかった災厄に見舞われます。

江戸初期の古記録から構想した虚構小説

  「破船」は、「ちくま」(筑摩書房)で、「海流」と題して、昭和55年7月号から、翌年12月号まで連載されました。昭和57年、『破船』(筑摩書房)として刊行され、昭和60年に文庫化(新潮文庫)されました。
 吉村は、「破船」について「歴史文学の範疇に入るのだろうが、古記録に散見する短い記述によって書きあげた虚構小説である」と述べ、執筆の経緯を、次のように記しています(「後記」『吉村昭自選作品集』第7巻 平成3年 新潮社)。
 吉村が、まず関心を持ったのは江戸初期の古記録でした。主に、日本海沿岸各地の記録に「荒天の暗夜の海で難儀する船を、海岸に住む者たちが巧みに磯に誘って破船させ、積荷などを奪うことがひそかにおこなわれていた」という内容の記述が見られたことから、小説の素材にすることを思い立ったと述べています。
 また、「恐るべき疫病であった疱瘡(天然痘)にかかった者からの感染を防ぐため、それらの者を船に乗せて海に流した」という記録も目にしたことから、両者を結びつけることで「破船」を構想したと記しています。
 平成8年以降、「破船」は、英語、ドイツ語、オランダ語、フランス語、ポーランド語、ヘブライ語、スペイン語などに翻訳されています。吉村作品の中では、最も多くの言語に翻訳された小説です。

本文にふれてみませんか1~ 「お船様」の恵みだと思っていた「赤い着物」~

 母は、俵から米をすくい、粥を煮た。
 「父ちゃんが帰ってきた日には、赤いべべを着せてやる」
 雑炊をすすっているかねに、母が言った。
 伊作は、母の念頭から常に父のことがはなれないのをあらためて感じた。春が訪れれば父が三年の年季明けで帰ってくるが、その折にかねに赤い着物を着せて一家そろって出迎える情景が思いえがかれた。燻んだ家の中で、灯明の光にほのかに浮び上った赤い着物が、家には分不相応なものに見える。その部分だけが明るみ、家の中が華やいでいるように感じられた。(『破船』昭和60新潮文庫)

本文にふれてみませんか 2~村の消滅を防ぐため、疱瘡に感染した村人たちが行った「山追い」~

 「父ちゃんによく仕えて暮すのだ」
 母の眼に、初めて光るものが湧いた。
 母は、磯吉と家の外に出た。 
 伊作は、家の戸口で松明をかざして歩いてゆく母と磯吉の後姿を見送った。松明の火が村道におりると、近づいてきた火と前後して村おさの家の方へ進み、道の傍につき出た岩のかげにかくれていった。
 伊作は、立ちつくしていた。
 しばらくすると、裏山のふもとに火の列が湧き、それがかすかにゆれながらのぼってゆく。
 長い火の列であったが、列の後部がちぢみ、やがて樹林の中に消えていった。その列の中には母、磯吉をはじめ、民も太吉もいるのだ、と、伊作は思った。
 星のひろがる空に、かすかに夜明けの気配がきざしていた。(『破船』昭和60
新潮文庫)

おわりに

 作品の冒頭から結末まで、抑制され、研ぎ澄まされた迫真の筆致は、共同体である村を維持し、存続させ、生き抜こうとする村人の在り様と悲哀を浮き彫りにし、読む者に力強く迫ります。
 世界的に新型コロナウイルスの感染拡大が続く現在、未知の感染症という災厄に対して人間は何を考え、どのように向き合い、取り組むことができるのか、深く考えさせられる作品です。
 ぜひ、今、読んでほしい一冊です。

 

掲載日 令和2年5月5日 更新日 令和2年11月28日
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