「今、読んでほしい吉村昭」を紹介します~第3回「日本医家伝」~
このコーナーでは、コロナ禍の今、おすすめの吉村作品を紹介します。
第3回は、医学に生きた人びとを描いた「日本医家伝」です。
『日本医家伝』(新装版 平成14年 講談社文庫)
江戸時代中期から明治初期にかけて、日本の医家たちは西洋医学の流入に身をさらし、或る者は反発し、或る者はそれを積極的に受け入れようとした。そうした混乱の中で、すぐれた医家たちによって新しい日本医学の基礎はきずかれていった。(「あとがき」『日本医家伝』昭和48年 講談社文庫)
はじめに―「日本医家伝」について
「日本医家伝」は、近代医学の礎を築いた医家12人の生涯を描いた医家列伝です。昭和43年から46年まで、全12回にわたり、医学雑誌「CREATA」(第10号~第21号)に連載されました。同46年に、加筆改稿して単行本(講談社)を刊行。同48年に文庫化(講談社文庫)されました。
作品に登場する12人の医家
この作品に登場する12人の医家は、江戸から大正にかけて実在した歴史上の人物です。時代の厳しい制約の中で先駆的な偉業を成し遂げました。その過程をそれぞれの個性的な生き方とともに描いています。
以下に12人の医家を紹介します。
山脇東洋(やまわきとうよう)……日本で初めて腑分けを実見した医家
前野良沢(まえのりょうたく)……「解体新書」を翻訳した中心的人物
伊東玄朴(いとうげんぼく)……貧農出身ながらも奥医師最高位である法印の座にいた蘭方医、江戸に種痘を広める。
土生玄碩(はぶげんせき)……新しい手術を積極的に推し進めた眼科医
楠本いね(くすもといね)……ドイツの医師フォン・シーボルトの娘。日本人女性で最初の産科医。
中川五郎治(なかがわごろうじ)……日本初の種痘を行った人物
笠原良策(かさはらりょうさく)……種痘の普及に努めた人物
松本良順(まつもとりょうじゅん)……初代陸軍軍医総監
相良知安(さがらともやす)……ドイツ医学を定着させた人物
荻野ぎん(おぎのぎん)……日本で最初の女医
高木兼寛(たかきかねひろ)……脚気病の治療法を実証的に開発した人物
泰佐八郎(はたさはちろう)……細菌学の先駆者パウル・エーリッヒに協力して、梅毒に卓効のある新薬サルバルサンを開発した人物。
本文にふれてみませんか1 ~前野良沢~
良沢は、「解体新書」はまだ不完全な訳書であるとし、刊行はさらに年月をかけた後におこなうべきだと考えていたのだ。
しかし、玄白は刊行を急いだ。学究型の良沢は、それについてゆく気になれず、学者としての良心から自分の名を公にすることを辞退した。
玄白は、それを素直にきき入れた。そして、「解体新書」の訳者は、杉田玄白ただ一人となったのである。(「前野良沢」『日本医家伝』昭和48年 講談社文庫)
本文にふれてみませんか 2 ~荻野ぎん~
ぎんは、明治十二年女子師範学校を卒業した。二十九歳であった。
その卒業式の日、幹事の永井久一郎教授は 十五名の卒業生一人一人に対して将来の志望をただした。ぎんは、永井教授に「医学を修めとうございます」と、真剣な表情で答えた。
永井は、表情をくもらせた。明治維新以来女子の学問修行の気運は急にたかまってきてはいるが、女子が医師となったという前例は全くない。ぎんの志望には多くの障害が予想された。(「荻野ぎん」『日本医家伝』昭和48年 講談社文庫)
おわりに
吉村は、この作品を基礎にして、後に多くの長篇歴史小説を書きました。合わせてご紹介します。「前野良沢」……『冬の鷹』(昭和49年 毎日新聞社)
「楠本いね」……『ふぉん・しいほるとの娘』上・下(昭和53年 毎日新聞社)
「中川五郎治」……『北天の星』上・下(昭和50年 講談社)
「笠原良策」……『めっちゃ医者 伝』(昭和46年 新潮社:後改題『雪の花』昭和63年 新潮文庫)
「松本良順」……『暁の旅人』(平成17年 講談社)
「高木兼寛」……『白い航跡』上・下(平成3年 講談社)
また、心に残る医者の姿を綴った随筆集『お医者さん・患者さん』(昭和60年 中公文庫)もこの時期におすすめしたい一冊です。患者にとって良い医者、医者からみた良い患者とは?改めて医者と患者の望ましい関係を考えさせられる作品です。
この機会に、医学の道に生きた人びとの姿にふれてみてはいかがでしょうか。